岩手県の県庁所在地はなぜ盛岡市なのか?歴史の真相と主要都市を徹底比較
東北地方で最も広大な面積を誇る岩手県ですが、その中心地について「岩手県の県庁所在地はなぜ岩手市ではなく盛岡市なのか?」「そもそも岩手市という自治体は実在するのか?」と疑問に感じた経験を持つ方は少なくありません。学校の地理の授業で、県名と県庁所在地名が異なるパターンとして暗記した記憶がある方も多いはずです。
本稿では、明治維新期の廃藩置県に端を発する歴史的経緯や「盛岡」という地名誕生の背景、さらには行政の中枢である岩手県庁の現場情報まで、客観的な記録と取材データをもとにその真相を徹底解説します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:岩手県の県庁所在地は盛岡市(もりおかし)であり、「岩手市」という都市は過去も含めて存在しない。
- 要点2:県名と県庁所在地が異なる最大の要因は、明治初期の度重なる管轄再編と、県庁が置かれた「岩手郡」という郡名が県名に採用された歴史的経緯にある。
- 要点3:盛岡市は県内人口の約23%が集中する中核市であり、盛岡城跡公園や内丸の官庁街を中心に歴史と都市機能が高度に調和している。
【歴史の深層】なぜ「岩手市」ではなく盛岡市なのか?廃藩置県と盛岡藩の因果関係
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日本全国を見渡すと、47都道府県のうち県名と県庁所在地名が一致しない自治体は18県存在します。岩手県もその代表格ですが、この不一致が生じた背景には、幕末から明治初期にかけての激動の行政区画改編が深く関わっています。
江戸時代の盛岡は、南部氏が治める盛岡藩(南部藩)10万石の城下町として繁栄を極めていました。しかし、1868年の戊辰戦争において盛岡藩は奥羽越列藩同盟側に加わり、新政府軍と交戦。敗戦後に領地を減封された後、1871年(明治4年)7月の廃藩置県によって旧盛岡藩領は一時的に「盛岡県」となりました。
転機が訪れたのは1872年(明治5年)のことです。盛岡県は周辺の地域を編入・整理する過程で、県庁が置かれていた場所の郡名である「岩手郡」にちなんで「岩手県」へと改称されました。当時の明治新政府は、藩の旧称をそのまま県名に残すことを避け、県庁が所在する郡名を採用する方針をとっていた例が多く見られます(例:宮城県の宮城郡、愛知県の愛知郡)。
その後、1889年(明治22年)の市制施行に伴い、旧城下町の中心部が「盛岡市」として正式に発足しました。つまり、「岩手郡の中にあった旧盛岡城下に行政機関が置かれ、広域自治体名として郡名の『岩手』が、都市名として歴史ある『盛岡』がそれぞれ引き継がれた」というのが、県名と県庁所在地が異なる理由の歴史的実態です。
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【地名の謎】「岩手」と「盛岡」の由来|鬼の手形伝説から不来方城の変遷まで

そもそも「岩手」と「盛岡」という2つの呼称は、どのような起源を持っているのでしょうか。それぞれの名称には、地域の信仰や武将の想いが色濃く反映されています。
「岩手」の地名発祥には、盛岡市名須川町にある三ツ石神社(みついしじんじゃ)の伝説が広く知られています。かつてこの地に現れ悪さを働いていた鬼「羅刹(らせつ)」を三ツ石の神が捕らえ、二度と悪事を働かない誓いの証として境内の巨石に手形を押させました。これが「岩に手形=岩手」の語源となり、鬼が二度と来ないことを願ったことから「不来方(こずかた)」という別名も生まれたと伝えられています。
一方の「盛岡」は、安土桃山時代から江戸初期にかけて南部家26代当主・南部利直(なんぶとしなお)によって名付けられました。利直は、それまで「不来方」と呼ばれていた地に新たな城を築く際、「不来方(来ず)」という文字が「味方が来ない」「客が来ない」といった不吉な意味に通じることを嫌いました。そこで、「盛り上がり、栄える岡」という繁栄への願いを込め、「盛岡」へと改称したのです。
【徹底比較】岩手県主要都市のデータ分析|盛岡市・奥州市・一関市の実力差

岩手県は四国4県に匹敵する広大な面積(15,275平方キロメートル)を持ち、内陸部と沿岸部でそれぞれ独自の都市圏が形成されています。県庁所在地である盛岡市と、県内の主要都市の構造的な違いを客観的データから整理しました。
| 都市名 | 推計人口・規模 | 主要な役割・産業特徴 | 都市機能と位置付け |
|---|---|---|---|
| 盛岡市(県庁所在地) | 約28.3万人(中核市) | 行政中枢、第3次産業、高等教育、文化観光 | 東北北部の中枢。新幹線全列車停車駅 |
| 奥州市 | 約11.0万人 | 伝統工芸(南部鉄器)、農業、精密機械 | 県南の拠点都市。歴史的遺産と製造業が融合 |
| 一関市 | 約10.6万人 | 交通結節点、電子・半導体産業、観光(厳美渓) | 宮城県境に位置し仙台経済圏との接続口 |
| 北上市 | 約9.1万人 | 先端半導体製造、工業集積、物流拠点 | 県内屈指の工業出荷額を誇る経済牽引都市 |
| 花巻市 | 約9.1万人 | 花巻空港(空の玄関口)、温泉観光、農業 | 宮沢賢治の生誕地。空路と観光リゾートの中心 |
データが示す通り、盛岡市は人口規模において2位の奥州市に2倍以上の差をつけており、行政・商業・交通の各分野において圧倒的な一極集中の構造を持っています。

【実態検証】盛岡市内丸と県庁周辺のリアル|県庁舎見学から盛岡城跡公園の歩き方
岩手県の行政の中心である岩手県庁は、盛岡市の中心街区である「盛岡市内丸」に位置しています。この内丸地区は、かつて盛岡城の内郭(本丸・二ノ丸・三ノ丸)が置かれていた場所であり、現在も県庁、盛岡市役所、岩手県警察本部、裁判所などの公的機関が密集する官庁街となっています。
【岩手県庁の基本情報とアクセス】
- 住所:岩手県盛岡市内丸12番2号
- 交通アクセス:JR盛岡駅東口より盛岡都心循環バス「でんでんむし」(左回り)で約6分、「県庁・市役所前」下車すぐ。徒歩の場合は盛岡駅から約20分。
- 庁舎見学:庁舎1階のロビーや県政情報センターは開庁日の平日に自由入場可能。岩手県の伝統工芸品展示や県政広報資料を閲覧できます。また、屋上展望スペース等については事前申請による団体見学枠が設けられています。
県庁のすぐ西側に広がるのが、市民の憩いの場である盛岡城跡公園(岩手公園)です。南部氏が築いた名城の美しい石垣が今なお当時の姿を留めており、春の桜、初夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪景色と四季折々の景観が楽しめます。園内には石川啄木歌碑(「不来方のお城の跡の草に臥ち 空に吸はれし 十五の心」)や新渡戸稲造記念碑が点在し、文学の薫り高い盛岡の歴史を肌で感じることができます。
さらに、県庁から中津川を挟んだ対岸や桜山神社参道周辺には、昭和の風情を残す飲食店街が広がり、名物の盛岡じゃじゃ麺の老舗「白龍(パイロン)」をはじめとするご当地グルメの現場としても高い賑わいを見せています。
一般に知られていない盲点とネットの誤解|「賊軍だから県名を変えられた」説の真偽
インターネット上や俗説において、「戊辰戦争で旧幕府軍側(賊軍)についた東北の藩は、明治新政府による懲罰として城下町名を県名に使わせてもらえず、県名を改名させられた」という説が頻繁に語られます。岩手(盛岡)や宮城(仙台)、福島(会津)などがその例として引き合いに出されるケースです。
しかし、近年の歴史研究および明治初期公文書の精査によって、この「賊軍懲罰説」は後世に作られた俗説であり、史実とは異なることが判明しています。
事実として、新政府軍の主力であった薩摩藩(鹿児島県)や長州藩(山口県)、土佐藩(高知県)でも城下町の名前がそのまま県名になっておらず、逆に旧幕府側であった彦根藩(滋賀県)や桑名藩(三重県)などでも郡名が県名に採用されています。明治政府の基本方針は、藩の私的な領主支配の記憶を払拭し、古代律令制以来の公的な地名である「郡名」を広域行政名に充てるという行政近代化の事務的ルールに基づいていたのが真相です。
なお、学校教育や資格試験などで重宝される「都道府県庁所在地覚え方」としては、以下のように「県名と異なる都市」をグループ化して覚えるのが最も効率的です。
- 東北エリア:岩手県(盛岡市)、宮城県(仙台市)
- 関東エリア:茨城県(水戸市)、栃木県(宇都宮市)、群馬県(前橋市)、埼玉県(さいたま市)、神奈川県(横浜市)
- 中部・近畿エリア:石川県(金沢市)、愛知県(名古屋市)、三重県(津市)、滋賀県(大津市)、兵庫県(神戸市)
- 中国・四国・九州エリア:島根県(松江市)、香川県(高松市)、愛媛県(松山市)、福岡県(福岡市 ※県名一致だが漢字違いなし)、佐賀・長崎・熊本・宮崎・鹿児島・大分は県名一致、沖縄県(那覇市)

【プロの結論】盛岡移住・観光で後悔しないための判断基準と都市論的考察
盛岡市は、米ニューヨーク・タイムズ紙が選ぶ「2023年に行くべき52カ所」に選出されて以降、世界的な注目を集め、独自のウォーカブルな都市構造(歩いて暮らせる街)が都市計画の観点からも高く評価されています。しかし、移住や長期滞在を検討する際には、地域の特性を正確に把握しておく必要があります。
盛岡市が適している人・評価できるポイント
- 歴史文化とコンパクトな生活を重視する人:盛岡駅から徒歩圏内に官庁街、レトロな街並み、中津川の自然、文化施設が集約されており、車に過度に依存せず上質な文化的生活を送ることができます。
- 東京方面とのアクセス性を求める人:東北新幹線「はやぶさ」を利用すれば、盛岡駅から東京駅まで最短約2時間10分でダイレクトに移動可能です。
慎重に検討すべき条件・デメリット
- 寒冷地特有の冬季気候への耐性:盛岡市は北上盆地に位置するため、冬の冷え込みは東北の県庁所在地でも屈指の厳しさです。1月〜2月の最低気温は氷点下5度以下になる日が珍しくなく、降雪・路面凍結への備えが不可欠です。
- 広域移動における車社会への順応:盛岡市内中心部を離れた郊外や、沿岸部・県南地域への移動には自家用車が必須となります。
【岩手 県庁 所在地】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:岩手県に「岩手市」は実在しますか?
A1:存在しません。過去の歴史においても「岩手市」という自治体が誕生した記録はなく、県庁所在地は市制施行当初から一貫して「盛岡市」です。ただし、市ではなく郡の単位として「岩手郡(雫石町、葛巻町、岩手町)」が現存しています。
Q2:盛岡駅と岩手県庁はどのくらい離れていますか?歩いて行けますか?
A2:距離にして約1.6km、徒歩で約20分程度です。開運橋を渡り、大通商店街や盛岡城跡公園を散策しながら徒歩で向かうことも十分可能です。公共交通機関を利用する場合は、盛岡駅東口から循環バス「でんでんむし」で約6分(130円)でアクセスできます。
Q3:なぜ岩手県庁は盛岡城の敷地内(内丸)に建てられたのですか?
A3:明治維新に伴い盛岡城が廃城となった後、旧城内の広大な敷地(内丸)が官有地として確保しやすかったためです。城下町の中心としてすでに交通網やインフラの骨格が整っていたことから、明治初期の県庁舎設置以来、現在に至るまで行政の中枢として機能し続けています。
まとめ:歴史の必然が生んだ「盛岡」という中枢都市
「岩手県の県庁所在地はなぜ盛岡市なのか」という疑問の背景には、古代の信仰に由来する「岩手郡」の郡名採用と、城下町として南部藩主の祈りが込められた「盛岡」という地名の成立という、二重の歴史的文脈が存在していました。
単なる行政上の名称の不一致ではなく、武士たちの都市建設と明治新政府の近代化プロセスが交錯した結果として現在の形が作られたのです。盛岡市内丸の岩手県庁や盛岡城跡公園を訪れる際は、この重層的な歴史の物語に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。 (出典: 岩手 県庁 所在地(Yahoo!ニュース))